カテゴリ:庄内用水



三郷悪水=成願寺用水
2022/03/03
成願寺杁について先日ブログで書いた。その記事の中で成願寺杁の成立以降の歴史をA・B・Cの3期に分けて変遷の明瞭化を図ったが、今回、最終段階にあたるC期の成願寺杁について書かれた資料を新たに見つけた。 建設省中部地方建設局庄内川工事事務所が出した『20周年記念...

□ヶ村=「六ヶ村」でした!!
2022/02/25
かつての庄内用水上流部 □ヶ村用水、郷合川 について 守山区ちょっと歴史散歩「守山区を巡る河川」の川村絵図の説明に 「八ヶ村用水取入口(時代により六ヶ村用水とも呼ばれた)、左に御用水取入口と二つの樋門が描かれている。」と書かれている。六ヶ村用水! この絵図の文字を読み取ったのか、文献で出典があるのかは分からない。...

川村取水の不可解[庄内用水疑問抄]
2022/02/22
(追記・重要) 本稿は執筆時点での筆者の仮説を示したものだったが、後日『尾張徇行記』の記述を見つけ、誤りであることが分かった。そのため、文中の当該部分および文末にて、『尾張徇行記』の記述を踏まえた追記・訂正を行った。

『守山市史』の誤り
2022/02/21
1963年発行の『守山市史』を読み返していたら次のような記述を見つけた。 「元文3(1737)年の御用水地図には、五ヶ村(川村・大永寺・金屋坊・幸心・瀬古)悪水とあり、「此の江先福徳三郷悪水と落合・庄内川を伏越六反川となる、」とある。」...

成願寺杁について
2022/02/20
成願寺杁 『名古屋市 庄内用水路』にある説明 「本樋菅は、矢田川を伏越して横断し、用水、悪水併用樋管にして、用水路は庄内川より取水、悪水は守山町県道犬山線より西約三〇町歩の悪水を泥下させるため調整す」...

稲生杁と日比津杁 [庄内用水疑問抄]
2022/02/19
元亀・天正年間(1570~92)に庄内用水が開削された。 ↓ その後、慶長19(1614)年に稲生村に定井が設けられる。 ↓ 寛永19(1642)年には、 ①稲葉地井筋に近い日比津村にも取水施設が造られる。これにより稲生村と日比津村の2ヵ所で庄内川から取水となる。(名古屋歴史ワンダーランド「庄内用水年表」に基づく)...

航空写真で□ヶ村用水(=郷合川)を追う
2021/12/05
守山区の用水路について。 現在は川村で取水する八ヶ村用水が灌漑の全てを担っている。この八ヶ村用水の水路は区画整理に合わせて整備が進み、現在の姿になった。 ではかつてはどういう姿だったか。 明治10年に黒川が完成するまで、御用水および庄内用水は川村で取水していた。今よりもかなり上流に長かったということだ。...

下中村で中井筋からの分水を追ってみた
2021/04/25
下中村の集落は、耕地整理や区画整理を免れ、古くからの細い道がそのまま残っている。 集落の東側に庄内用水中井筋が流れていた。そして中井筋から西へ分かれる分水のいくつかが、集落の中を通過していた。古い道が残っているということは、つまり同じように古い水路も残っているということではないか。...

四女子小塚用水の痕跡を
2021/04/21
四女子小塚用水は中井筋からの分水のひとつ。四女子は「しにょうし」と読む。なかなか難読だ。 用水の名称はかつてこの辺りにあった「四女子村」と「小塚村」に由来する。ちなみに、小塚村は近くの本郷村および七女子村と合併して小本村になった。現在近くにあおなみ線の小本駅がある。...

米野井筋水路変更工事に関する資料-まとめ
2021/02/26
庄内用水米野井筋の水路変更工事に関する資料を文字に起こしたものです。まだ精査できていないので、正式な書類や案がごちゃまぜ、それから日時も順番にはなっていないと思います。この内容を元に後日ガイド「米野井筋」の該当項目を修正していくつもりです。解説というか簡単な説明は一番下に書きましたので、たくさんスクロールしてやってください。...

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