三郷悪水=成願寺用水
2022/03/03
成願寺杁について先日ブログで書いた。その記事の中で成願寺杁の成立以降の歴史をA・B・Cの3期に分けて変遷の明瞭化を図ったが、今回、最終段階にあたるC期の成願寺杁について書かれた資料を新たに見つけた。 建設省中部地方建設局庄内川工事事務所が出した『20周年記念...

短くなっていた!堀川
2022/03/01
堀川は慶長15(1610)年の名古屋城築城に際して掘られた排水路に起源をもつ人工の河川である。一級河川として登録されている現在の堀川は、法律的には、庄内川の取水口から名古屋港で伊勢湾に注ぐ地点までを指す。しかし、一般的に上流部は「黒川」と呼ばれることが多い。地下鉄名城線には黒川駅があるし、名古屋高速にも黒川インターチェンジがある。(東京の池尻大橋に敵する所だと思っている)

「女子地名」を考える #1
2022/02/27
名古屋市中川区にある「女子地名」について考察してみたい。 五女子、二女子、四女子など漢数字の後ろに「女子」が付いた地名が隣り合って存在している。なんとも不思議な名前だ。五女子と書いて「ごにょうし」とか「ごにょし」とか読む。かつては一女子から七女子まであったと言う。その「女子地名」について、詳しく調べる前の時点での考えを記しておく。

小田井輪中の排水路・変遷
2022/02/26
庄内川と新川に囲まれたいわゆる小田井輪中。その中を流れる農業用水路に、洗堰のすぐ下流側で庄内川から取水する山西用水がある。もともと庄内川からの取水は3ヶ所に分けて行われていたが、戦時中からの土砂採取によって庄内川の河床が下がってしまい、自然取水が困難となった。それを受け、取水口をひとつにまとめて頭首工を建設し、農業用水をばっちり確保しよう!ということになって出来たのが山西用水である。昭和27(1952)年1月、土地改良法に基づく県営かんがい排水事業(山西地区)が採択されて建設が始まり、昭和31(1956)年に完成をみた。

□ヶ村=「六ヶ村」でした!!
2022/02/25
かつての庄内用水上流部 □ヶ村用水、郷合川 について 守山区ちょっと歴史散歩「守山区を巡る河川」の川村絵図の説明に 「八ヶ村用水取入口(時代により六ヶ村用水とも呼ばれた)、左に御用水取入口と二つの樋門が描かれている。」と書かれている。六ヶ村用水! この絵図の文字を読み取ったのか、文献で出典があるのかは分からない。...

むかしの佐屋街道
2022/02/24
尾頭(おとう)橋。堀川に架かる橋で、佐屋街道が通っている。佐屋街道は、東海道の海上区間である七里の渡を北に迂回するための道だった。江戸時代のいわゆる「堀川七橋」の一つで、その中でいちばん下流に位置する。平成7(1995)年には東海道線に尾頭橋駅が新設された。...

一里塚、中村区にあり
2022/02/23
中村区内には一里塚があった。中村区の街道と言うと、佐屋街道や柳街道が想像されるが、一里塚があったのはそのどちらでもない。鎌倉街道である。...

川村取水の不可解[庄内用水疑問抄]
2022/02/22
(追記・重要) 本稿は執筆時点での筆者の仮説を示したものだったが、後日『尾張徇行記』の記述を見つけ、誤りであることが分かった。そのため、文中の当該部分および文末にて、『尾張徇行記』の記述を踏まえた追記・訂正を行った。

『守山市史』の誤り
2022/02/21
1963年発行の『守山市史』を読み返していたら次のような記述を見つけた。 「元文3(1737)年の御用水地図には、五ヶ村(川村・大永寺・金屋坊・幸心・瀬古)悪水とあり、「此の江先福徳三郷悪水と落合・庄内川を伏越六反川となる、」とある。」...

成願寺杁について
2022/02/20
成願寺杁 『名古屋市 庄内用水路』にある説明 「本樋菅は、矢田川を伏越して横断し、用水、悪水併用樋管にして、用水路は庄内川より取水、悪水は守山町県道犬山線より西約三〇町歩の悪水を泥下させるため調整す」...

さらに表示する