柳瀬川/荒子川

荒子川(柳瀬川)の流路
荒子川(柳瀬川)の流路

<基本データ>

名称  荒子川(柳瀬川)

種別  普通河川

形態  暗渠/開渠

延長  6.7km

流域  名古屋市中村区・中川区・港区

 

 

<くわしく>

上流部は柳瀬川、下流部は荒子川と呼ばれる普通河川である。沿川に荒子川公園が位置することもあり、名古屋においては一般的にもそれなりの知名度を誇る川だと思う。

荒子とは「墾く」ことで、新田を意味すると言われており、遠浅だった海を盛んに干拓し新田開発を行ったことから名付けられたと思われる。柳瀬の名は、かつて流域に存在した一ッ楊という荘園の名前からきている。周辺でも柳小学校や柳森町、また柳街道など「柳」という字が色々なところで見られる。もともと荒子川と呼ばれていたのは荒子村以南だったようだ。

 

自然河川であり、流域の農業廃水や雨水を集めて南下する悪水路としての役割を果たしていた。そのため、はっきりとした源流があるわけではなく、細かい排水路が次第に集まりやがてひとつの川となっていた。川の東西を庄内用水中井筋と稲葉地井筋に挟まれている形で、現在でもその両方から導水を受けている。

 

柳瀬川ではかつてハエが多くとれ「柳瀬川のハエ」は堀川のものとならんで有名であった。ちなみに「ハエ」とは、日本産のコイ科淡水魚のうち中型で細長い体型をもつもののこと。澄んだ流れだったのだろう。

 

柳瀬川の暗渠(中村区並木)
柳瀬川の暗渠(中村区並木)
開渠となってすぐの荒子川(中川区八田町)
開渠となってすぐの荒子川(中川区八田町)
次第に幅が広がってゆく(港区入場)
次第に幅が広がってゆく(港区入場)

柳瀬川上流部の「上水道」と「下水道」
柳瀬川上流部の「上水道」と「下水道」

先述の通り、柳瀬川は小さな排水路がたくさん集まってきて川になっていたから、上流部の流路図も結構複雑であるが、主な流れは大きく分けて3つある。

 

稲葉地村からの悪水路は、現在の稲葉地公園西で庄内用水稲葉地井筋(西井筋)を越えていた上水道(かみすいどう)と、現在の同朋学園北西で稲葉地井筋を越えていた下水道(しもすいどう)の2つが存在する。

ちなみに、基本的に用水路は水供給のために周りより高いところを流れ、逆に悪水路は周りより低くなっている。両水道も稲葉地井筋の下を伏越水筒でくぐっていた。

 

残るは東宿方面からの流れである。稲葉地井筋からの多くの分水が最終的に柳瀬川へと集まっていた。草薙町、靖国町のあたりは戦前に区画整理が行われたが、柳瀬川が水を集めるという基本的な仕組みは何ら変わらなかった。もちろん、東宿、上中村などからの悪水も広く集めていた。

 

 

以上いずれの流れもほとんどの区間が既に暗渠化されたり埋め立てられたりしている。この地域では、川が存在していたころに耕地整理が行われており、その流路は現在の道と完全に一致。多くの区間が2車線道路として使われており、川幅の分広がったスペースが活用されている。一方、稲葉地町内では下水道の流路が一部残存していたり、上水道でも太閤通以北の区間で開渠が現存していたりと、一部で現在もその姿を追うことができる。

稲葉地町内に残る下水道
稲葉地町内に残る下水道
同じく下水道。残る水路は側溝程度
同じく下水道。残る水路は側溝程度
一部開渠で残る上水道
一部開渠で残る上水道

 

また、特筆すべきこととして、岩塚付近に池が多いこと(もちろんいずれの池も現在は埋められている)があげられるだろう。池といっても湧き水とかではなくて、要は巨大な水溜りであると言っていい。これらはおそらく、水田を宅地化する際に周辺の土を掘ってかさ上げに使ったことで、その跡に水が溜まったものだ。付近の土地から土を持ってくるというのはかつてはよくあったようで、例えば中村遊郭の遊里ヶ池もそのひとつだ。まさに低湿地、中村区の原風景といった感じだったのではなかろうか。そしてこれらの池の多くも水路で柳瀬川と接続しており、水源のひとつとなっていたと言うことも出来る。

s30年名古屋市撮影の航空写真に加筆
s30年名古屋市撮影の航空写真に加筆

 

昭和40(1965)年代頃には、主に下流部で地下水汲み上げの増加による地盤沈下が進行し、名古屋港への自然排水が困難となったことから、荒子川ポンプ所からの強制排水が開始されている。また、名古屋港周辺の運河網計画の一環として荒子川運河の整備が下流より順に始まったが、モータリゼーションの進展のために中断されたため、荒子川公園以南の下流部のみ運河の形態を呈している。

荒子川運河については以下のボタンから。

運河計画のせいで下流部が無駄に広い荒子川
運河計画のせいで下流部が無駄に広い荒子川

 

 

平成元(1989)年に、水質の改善を目的とした「荒子川水質保全導水路」が整備され、庄内用水稲葉地井筋の余剰水が荒子川に流れ込むようになった。ただ、この水路自体は稲葉地井筋からの分水路としてもともと存在しており、平成元年に整備した、というのは導水路としての設備を整えたという意味なのだと思われる。導水路は庄内用水稲葉地井筋と柳瀬川(荒子川)の開渠区間の上流端を結んでおり、現在の実質的な水源になっている。一部開渠だが、ほとんどの区間は道路の下を暗渠で流れている。

 

導水路の整備以前、庄内用水稲葉地井筋の下流部では、上流部での水利用が時期的に変動することと、地盤沈下で流下能力が不足することから、十分な量の農業用水が供給されていなかった。この問題を解決するため、下流部の流下能力を超える水を荒子川に流下させることで、常にかんがいに必要な量が稲葉地井筋の下流に供給できるようにしたのだ。同時に、この水路は荒子川の水質浄化にも大きく貢献することとなった。

稲葉地井筋と柳瀬川をつなぐ水質保全導水路
稲葉地井筋と柳瀬川をつなぐ水質保全導水路
はしご式開渠も
はしご式開渠も
柳瀬川との合流地点。橋の下、左が導水路、右が柳瀬川暗渠。
柳瀬川との合流地点。橋の下、左が導水路、右が柳瀬川暗渠。

 

 

平成2(1990)年には打出下水処理場の処理水を、高畑公園付近で荒子川に導水する工事も行われた。

 

中村区内では埋め立てや暗渠化により水面を見ることができないが、中川区では八田水の広場の整備や管理通路の緑化など、市民の親水空間として親しまれ、平成4(1993)年には建設省の「手づくり郷土賞」を受賞した。

また、平成12(2000)年9月の東海豪雨を期に、平成13(2001)年から平成17(2005)年にかけて緊急雨水整備事業による浚渫を実施し、平成18(2006)年より荒子川ポンプ所の耐震補強等を都市下水路事業により行っている。


作成 2020/02/26 最終更新 2020/04/15

参考 名古屋市資料 など