カテゴリ:西区



短くなっていた!堀川
2022/03/01
堀川は慶長15(1610)年の名古屋城築城に際して掘られた排水路に起源をもつ人工の河川である。一級河川として登録されている現在の堀川は、法律的には、庄内川の取水口から名古屋港で伊勢湾に注ぐ地点までを指す。しかし、一般的に上流部は「黒川」と呼ばれることが多い。地下鉄名城線には黒川駅があるし、名古屋高速にも黒川インターチェンジがある。(東京の池尻大橋に敵する所だと思っている)

小田井輪中の排水路・変遷
2022/02/26
庄内川と新川に囲まれたいわゆる小田井輪中。その中を流れる農業用水路に、洗堰のすぐ下流側で庄内川から取水する山西用水がある。もともと庄内川からの取水は3ヶ所に分けて行われていたが、戦時中からの土砂採取によって庄内川の河床が下がってしまい、自然取水が困難となった。それを受け、取水口をひとつにまとめて頭首工を建設し、農業用水をばっちり確保しよう!ということになって出来たのが山西用水である。昭和27(1952)年1月、土地改良法に基づく県営かんがい排水事業(山西地区)が採択されて建設が始まり、昭和31(1956)年に完成をみた。

川村取水の不可解[庄内用水疑問抄]
2022/02/22
(追記・重要) 本稿は執筆時点での筆者の仮説を示したものだったが、後日『尾張徇行記』の記述を見つけ、誤りであることが分かった。そのため、文中の当該部分および文末にて、『尾張徇行記』の記述を踏まえた追記・訂正を行った。

稲生杁と日比津杁 [庄内用水疑問抄]
2022/02/19
元亀・天正年間(1570~92)に庄内用水が開削された。 ↓ その後、慶長19(1614)年に稲生村に定井が設けられる。 ↓ 寛永19(1642)年には、 ①稲葉地井筋に近い日比津村にも取水施設が造られる。これにより稲生村と日比津村の2ヵ所で庄内川から取水となる。(名古屋歴史ワンダーランド「庄内用水年表」に基づく)...