かつての庄内用水上流部
□ヶ村用水、郷合川
について
守山区ちょっと歴史散歩「守山区を巡る河川」の川村絵図の説明に
「八ヶ村用水取入口(時代により六ヶ村用水とも呼ばれた)、左に御用水取入口と二つの樋門が描かれている。」と書かれている。六ヶ村用水!
この絵図の文字を読み取ったのか、文献で出典があるのかは分からない。
六っぽいなと思ってたけど、やはり六じゃないか。
「八ヶ村用水由来碑」より、八ヶ村とは、川村・牛牧村・大森垣外村・大永寺村・金屋坊村・守山村・幸心村・瀬古村のことである。では六ヶ村とはどこか。基本的には八ヶ村から2つ引くことになる。御用水は農業用水路としても使われていた。I氏は『尾張徇行記』の記録から、川村・幸心村で取水があったこと、幸心村で取水したが瀬古村でも使われていたと書いている。このうち川村は、六ヶ村用水も利用していたことが村絵図から読み取れる。であれば、残る幸心村・瀬古村を引いた、川村・牛牧村・大森垣外村・大永寺村・金屋坊村・守山村が六ヶ村用水の灌漑範囲であり、名称の由来だろう。
これで、□ヶ村用水などと書かなくても済むようになった。よかったよかった
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