まあ需要はないと思うが、記録として残しておく。暇なときに読んで、ああなるほどと自分で思い返したりするかもしれない。
ホームページの公開に伴って、「暗渠」という言葉を改めて定義しなおした。これまでは、いわゆる「広義の意味での暗渠」を使うこともあって、ホームの文章でもその使い方をしていた。それをこの度「狭義の意味での暗渠」に統一することにしたので、そのために文章を書き換える必要があった。また、ここの文章は特に「暗渠の愉しみ」の方は、どこかで見たような話の受け売り的な部分が少なからずあった。トップページの最も重要と言ってもいい位置にある文章なので、そうした部分は同時に修正しておくべきと考えた。以下、変更前と変更後のそれぞれの文章を左右(携帯だと縦に並ぶ表示になる)に載せておく。
<旧>暗渠とは
暗渠とは「地下に埋設された水路」や「蓋をかけられた水路」のことを言います。つまり、「水面を見ることができない」状態にある水路が「暗渠」ということになるわけです。
ただ実際には、地下の様子を地上から見ることはほとんど出来ません。場所によっては「水路が残っているのか、はたまた埋められてしまっているのか」は判別がつかないことも。
ここではそうした曖昧なものもひっくるめて、かつて川や用水が流れていた場所・道で、かつ現在でもその空間(つまり流路跡)が地図や現地で確認できるもの全般を「暗渠」と呼ぶことにします。
つまり、広義の意味での暗渠は、「元々川や用水であった水路が、様々な経緯・手段で水面を失ったもの」と捉えるのがよいでしょう。
こうした、本来の意味での暗渠、そして「失われた川や用水の痕跡」としての広義の意味での暗渠は、都市部を中心に日本各地に存在します。
そして数多く存在するからこそ、様々な形態のものがあります。
地下の水路は、そのままの用途で使われたり下水道に転用されたり。地上部分は、遊歩道になったり、車道や歩道になったり、あるいはただ蓋をかけただけの状態だったり。暗渠は場所や時代などによって、色々な姿を私たちに見せてくれるのです。
このサイトでは、主に名古屋市内の暗渠=「失われた川や用水の痕跡」を取り上げています。
ただ、水のネットワークを知る上では開渠(つまり普通の川)も欠かせないこと、また、暗渠の上流や下流が開渠となっている場合があることなどから、「暗渠」を楽しむ上で「暗渠」であることに縛られる必要はないと思っています。暗渠を中心とした名古屋の用水・小河川について知り、そのネットワークを解き明かしていく。それが、このサイトのテーマになります。
<新>暗渠・川跡とは
暗渠とは"蓋をかけられた水路"や"地下に埋設された水路"のことだ。つまり、水面を見ることができない状態にある水路を「暗渠」と呼ぶ。反対に、通常の水面が見える状態の水路は「開渠」と呼ぶこともある。
暗渠は、都市部を中心に日本各地に存在する。そして数多く存在するからこそ、様々な形態のものがある。
地下の水路は、そのままの用途で使われたり下水道に転用されたり。地上部分は、遊歩道になったり、車道や歩道になったり、あるいはただ蓋をかけただけの状態だったり。暗渠は場所や時代などによって、色々な姿を私たちに見せてくれる。
川跡とは、文字通り川、あるいは用水が流れていた跡のこと。そうした「川跡」には、"水が流れていたことにまつわる痕跡"が残っているかもしれない。
このサイトでは、主に名古屋市内の暗渠・川跡=「見えない水流と、失われた川や用水の痕跡」を取り上げている。
ただ、水のネットワークを知る上では開渠も欠かせないこと、また、暗渠の上流や下流が開渠となっている場合があることなどから、暗渠を楽しむ上で暗渠であることに縛られる必要はないと思っている。暗渠・川跡を中心とした名古屋の用水・小河川について知り、そのネットワークを解き明かしていく。それが、このサイトのテーマである。
<旧>暗渠の愉しさ
「暗渠とはいわば、レコードに刻まれた溝のようなものだろう。」暗渠者、本田創氏の言葉です。
蓋をされ埋められ消えていった川の流れ。でも、その水は確かに地形をつくり、土地の歴史や人々の暮らしを育んできました。そしてそこには地形や風景、土地の記憶が刻み込まれているのです。
川とともに蓋をされ覆い隠されてしまったように見えても、暗渠を辿り、失われた川の流れに耳を澄ましてみれば、その溝が今も奏で続ける土地の記憶が聴こえてきます。
かつての清流の成れの果て。見放され蓋をされ、誰からも見向きもされない哀れな姿。コンクリート色の暗渠からはそんな気配さえ漂います。
でもほんとは、そうじゃない。高度成長や宅地化、下水道の整備。様々な逆境の中で、なりを潜めながらも生きながらえてきた彼らの歴史がそこにはあるのです。
さあ、暗渠を歩こう。愉しもう。
まだ誰も知らない景色を、見たことのない街の一面を。真に生活と密着し街を支えてきた水面を感じに。
これまで気に止めてこなかった小さな空き地に、細い道に、暗渠という視点が様々な側面からの広がりを持たせ、新たな気づきを与えてくれます。
暗渠を知り、そして歩くことは、まさにその土地を知り、いま我々が忘れかけているものを見つけることそのものなのです。
<新>暗渠・川跡の愉しさ
蓋をされ埋められ消えていった水の流れ。でも、その水は確かに地形をつくり、土地の歴史や人々の暮らしを育んできた。でも、水の流れに刻み込まれていた風景や土地の記憶は、川とともに蓋をされ覆い隠されてしまったように見える。
見放され蓋をされ、誰からも見向きもされない。コンクリート色の暗渠からはそんな気配さえ漂う。埋め立てられた川跡、もはやそこに川があったと知る人もほとんどいない。
しかしそれこそが、高度成長や都市化・宅地化、下水道の整備、様々な逆境の中でなりを潜めながら、あるいは姿を変えながら生きながらえてきた彼らの歴史そのものだ。
さあ、暗渠を歩こう。愉しもう。
これまで気に止めてこなかった小さな空き地に、細い道に、暗渠・川跡という視点が、新たな気づきを与えてくれるだろう。それは、今までに見たことのなかった街の一面かもしれない。水の流れを知ることは、その土地を知ることでもあるのだ。
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