「名古屋市東郊耕地整理組合整理全図」に載っている天池水路に流れ込むもうひとつの川。描かれ方からすればむしろこっちが本流ともとれるが、この川は土地宝典には載っていない。なんだこいつと思っていたのだけど、確認してみたら上流が精進川のルートと重なったのだ。そうか!と思った。
精進川は新堀川の前身となった川だが、流路が概ね重なっていた下流部を除いては、明治43(1910)年の新堀川の開削後も存在し続けていた。大正15(1926)年に埋め立てられたというのは知っていたが、それは東郊耕地整理によるものだったのか!
だがしかし、東郊耕地整理の第一期工事は大正2(1913)年9月に開始され、同6(1917)年10月に完了している。大正5(1916)年の「名古屋市東郊耕地整理組合整理全図」で既に天池水路と合流し新堀川へ注ぐ流路が描かれているわけだから、地区内を蛇行して流れていた元の流路は大正5(1916)年までには埋め立てられていただろう。
だから、大正15(1926)年に埋め立てられたという情報をどこで知ったかちょっと忘れてしまったが、それは誤りだったのか、或いは、天池水路以北の流路は東郊耕地整理の範囲外で耕地整理後も一定期間存在していただろうから、そこの埋め立てが大正15(1926)年だった可能性もある。
何れにしても、単に天池水路のものだと思っていた歌志軒横のあの暗渠の入口は、精進川と新堀川の合流地点でもあったのだ。
この発見はでかいぞ。
コメントをお書きください