9月29日の文章で下米野の勘右川について書いた。この名前は旭耕地整理組合確定図に書いてあったもので、初めて目にしたときは相当な衝撃を受けた。そして最後にはこう記している。
「ちなみにこの名前、排水本溝というのは耕地整理の際につけられた名前だろう。徳左排水本溝の本来の名前が徳左川であることを考えれば、勘右排水本溝も勘右川としたいところだ。ひとまずは暗渠マップの名前は勘右排水本溝としておくけれど、この確定図以外の資料で勘右の名前に出会う日が来ることを強く祈念したい。」
実際に地図に書いてあったのは勘右排水本溝という名前だったが、同じ地図では徳左川も徳左排水本溝となっているし、間違いないだろうから「勘右川」ということにしていたわけだ。
勘右川と書いてどう読むのだろうかというのは疑問に思っていた。左衛門と書けば「さえもん」と読むが、右衛門と書いても「えもん」としか読まない。石川五右衛門とかも「ごうえもん」とは読まない。だから、徳左衛門の徳左を取って「とくさ」と読むのは分かるのだけど、勘右衛門の勘右を取って「かんう」とは読まないのではないか。じゃあなんて読むのだろうか、そういう疑問である。そもそも勘右の名前の由来が勘右衛門と決まったわけではないが。
そんな中で10月13日、早くも「この確定図以外の資料で勘右の名前に出会う日」が訪れた。市政資料館で見た名西土地区画整理組合の資料の中の「米野」という謎の地図にそれは書いてあった。
「勘衛川」
えええ!?!!衛衛衛衛衛??!?!というのが率直なところだった。勘右、ではなくて勘衛。どういうことだこれは。どちらかが間違っているとか、いろいろ書き方があったとか、そういうことだろうか。
でもひとつ確実だと思えたのは、この川の名前は勘右衛門という人物に由来しているということである。勘、そして右衛の文字が揃ったら、後に続くのは門だけであろう。ちなみに「勘衛」であれば「かんえ」と普通に読むことができる。
ちなみに上の地図、縦に勘衛川と書いてあるのとは別に、右下に手書きで「旧勘□川」と書いてあるんだけど、一番大事なところが読めない。なんて書いてあるのだろうか。衛や右とは違うように見えるけど。
そんなわけで10月14日現在、勘右川なのか勘衛川なのか分かりかねている状況である。読みから考えれば、素直に読める勘衛川のほうが可能性として高そうだが、勘右と書いて「かんえ」と読んだというようなことも考えられるので、正直なんとも言えない。他の資料か現地での聞き込みに頼るほかないようだ。
コメントをお書きください